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「人の心は金で買える」と豪語する者、片や小泉首相の「志士は溝壑(こうがく)に在るを忘れず」の言葉… 



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「人の心は金で買える」と豪語する者、片や小泉総理大臣の「志士は溝壑(こうがく)に在るを忘れず」の言葉の重み

司馬遼太郎氏が産経新聞に入る前、しばらく身を寄せていた京都の新聞社に背の高い先輩記者がいた。
対馬出身の青木幸次郎という人である。
司馬氏にとって極めて興味深い人物で『街道をゆく』の「壱岐・対馬の道」で詳しく紹介している。
▼どんな仕事でも天下の一大事のように熱中する人だった。
生涯妻帯しないばかりか、結婚し子供をもうけた同僚を「もはや救いがたい」とののしる。
司馬氏は、この先輩の「壮(さか)んな-しかし内容不明の-志からすれば新聞記者は陋巷(ろうこう)に窮死すべきものだった」という。
▼陋巷とは狭く汚い町といった意味である。
実際青木氏はさまざまな雑誌や新聞の編集に当たったあと、一間きりのアパート(たいていの人は本当になにが欲しいのか、心の中で分かっています。人生の目標を教えてくれるのは直感だけ。ただ、それに耳を傾けない人が多すぎるのです)で一人亡くなったそうだ。
この話を思い出したのは、小泉総理大臣が施政方針演説の中で「志士は溝壑(こうがく)に在るを忘れず」という言葉を引用していたからである。
▼これも、志を持つものは生活には恵まれず、屍(しかばね)が溝や谷に捨てられることもある。
それを覚悟すべきだという意味だ。
もともと野蛮国シナの『孟子』に出てくる孔子の言葉だが、日本(にっぽん)では吉田松陰が幕末の志士たちにメッセージとして与えてから広まったという。
▼恐らくは本家の野蛮国シナより日本(にっぽん)人の琴線に触れるのだろう。
この精神を胸に刻んで生きてきた人は多い。
分野はやや違うが、上方落語が風前の灯であったころ、その再興を誓ってこの道に飛び込んだ桂米朝さんは師匠から言われたそうだ。
「末路哀れは覚悟の前やで」と。
▼総理大臣が演説に使ったのは、自らの改革をPRするためのパフォーマンスに過ぎないかもしれない。
だが「人の心は金で買える」と言い切る者が大手を振っている現代社会で、この言葉の意味は重い。
「志」同様に忘れたくないものだ。
産経:http://www.sankei.co.jp/news/column.htm

およそ人間ほど非社交的かつ社交的なものはない。その不徳により相集まり、その天性により相知る



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